1952(昭和27)年に法人組織となり、新たな一歩を踏み出した和気商店。
当時は堅実な経営で知られていましたが、一方で周囲からは「堅い店」「伸びない店」「魅力に乏しい店」と評されることもありました。
そんな会社を「伸びる店」へと変貌させ、大きく成長させたのが、初代社長・信行の次男、和気博史でした。
今回は、彼がどのような人物であったのか、その人柄に迫るエピソードをご紹介します。
前回の内容はこちら!
仕事を楽しむ「仕事人間」
博史は、まさに「仕事を楽しむ仕事人間」でした。
家族でドライブに出かける際も、車内では音楽ではなく講演会のカセットテープを流して勉強に励んでいました。それを隣で聞いていた妻・澄子氏も共に学んでいたため、博史が亡くなった後も、スムーズに事業を引き継ぐことができたそうです。後部座席の子供たちは、父の邪魔をせぬよう静かにしていたといいます。
また、休日に家族で出かけた際も、空港で「少しお茶でもして待っていて」と家族を残し、一人で取引先との面会に走ることも珍しくありませんでした。公私の境目がないほど、常に仕事と向き合いながら、人生を謳歌していたのです。

義理人情に厚く、気が利く人柄
博史の行動の根底には、常に人への思いやりがありました。
社内結婚の仲人を9組ほど務めましたが、その際にお礼は一切受け取ろうとしません。あまりにも頑なに断るため、澄子氏の案で「一度受け取った後、謝礼金の額を入れた通帳と印鑑をプレゼントする」という形でようやく落としどころをつけたほどでした。
また、会社主催の家族運動会では、パート社員に対しても「お子さんが大人になるまで給料を払ってあげたい。大学まで行かせてやりたいんだ」と親身に語りかけていたようです。
さらに、その気配りは社外でも変わりません。
DIY協会の海外視察で一人ぼっちの参加者がいれば積極的に声をかけ、家族旅行のツアーで「どなたか、旅券の保管をするリーダーを引き受けてくれませんか」と呼びかけがあった際、周囲が遠慮して誰も手を挙げなければ、迷わず自ら手を挙げるような人物だったようです。


枠にとらわれない行動力
博史は非常にアクティブで、水泳や学生時代の山岳部など、体を動かすことを好みました。DIYショウでは「着ぐるみを着ていた」という噂もあります。真相は不明ですが、近しい人によれば「頼まれたのか、そこにあったから着たのか、どちらにせよ彼ならやりかねない」とのこと。
また、NHK総合テレビ「BKスペシャル・がんばってまっせ・大集合!!関西成長企業の城主たち」という番組に出演した際、「みんな背広では面白くない」と、博史は胸に「DO IT YOURSELF」の文字が入ったTシャツ姿で登場しました。実はこのTシャツは、当時の社内の制服。他の出演者の社長たちも背広では面白くないという意見には賛同していたものの、実際に当日Tシャツで現れたのは博史1人だけだったそうです。

学生時代から変わらぬ「全力投球」
これらのエピソードは社長就任後のものですが、和気産業65年史には学生時代の彼についても記されています。
そこには、 「学生時代はユーモアに満ち、頭の回転が早く、機転がきいた」 「向学心が強く、大学の試験で98点をたたき出した一方で、授業の合間には寺社仏閣を見てまわるなどの趣味にも興じた」 「高校の修学旅行のあと、手製の記録集を何冊か作成して友人たちに配った」 などの記載があり、何事にも真面目に全力投球する姿勢や、周囲のために動く精神は、若い頃から一貫していたことが伺えます。
和気博史の人柄については、こちらのページからも詳しく読めます
次回は、そんな和気博史が入社して気づいた、「和気商店の問題点」に迫ります。お楽しみに!
こぼれ話
DIYに舵を切った和気産業の目印ともいえるイラスト、「僕とパパの日曜大工」。
和気産業の商品やフランチャイズ店の看板、営業車などに使われていたこのデザインは、博史さんとその息子さんがモチーフになっています。


ちなみに、学生時代からカメラが趣味だった博史さん。
商品(ジョイントマット)の使用シーンのイメージとして撮影されたこの写真は、博史さん本人が自分のカメラで、娘さんと息子さんをモデルに撮影したものです。現在は額縁に入れられ、ご自宅で保管されています。


※この記事の内容は、弊社社史「和気産業65年の歩み」、「和気産業80年の歩み」ならびに2025年9月時の取材を元に作成しています。


