1960年代半ば、当時の和気商店で専務を務めていた和気博史は、あくなき探求心のもと、会社の運命を変える「3つの学び」を得ました。
- 海外から『Do It Yourself(DIY)』という未知の文化が押し寄せていること
- 1967年に、カナダでモントリオール万博が開催されること
- 工具は鍋などの家庭金物に比べて小さく、それでいて高価なこと
一度に大量に運べる上に単価も高い工具は、物流効率の面でも極めて魅力的な商材です。さらに「日曜大工」という言葉が流行り出したことを知った博史は、和気商店でも日曜大工用品の取り扱いをスタートさせました。
とはいえ、これらはまだDIYの文化が広くブームになる前の話。
今回は、博史がいち早く見出した「日曜大工」という文化の可能性への確信を得るために突き進んだ、情熱の軌跡をたどります。
前回の内容はこちら!
モントリオール万博への渇望と、立ちはだかる壁
博史が「日曜大工」という文化に触れた1960年代後半。
日本では1964(昭和39)年に東京オリンピックが開催され、1970(昭和45)年には大阪万博の開催を控えており、国全体が急速な経済成長の真っ只中にありました。都市のインフラが整備され、人々の生活水準やライフスタイルが刻々と豊かに変化していく、まさに日本がどんどん成長していった活気あふれる時代でした。
そして、その大阪万博のひとつ前の開催となったのが、1967(昭和42)年のカナダ・モントリオール万国博覧会です。
次の開催が日本と決まっていたこともあり、当時のマスコミは連日のようにこの万博を大きく取り上げていたようで、博史もその熱気に魅了された1人でした。
「欧米から流れてきた日曜大工の文化は、これから必ず大きなブームになる」「諸外国の先進的な展示を見れば、会社をさらに大きくするためのヒントが隠されているかもしれない」と、少しでも早く世界の動向を肌で知りたいという意欲に満ちあふれた博史には、1970年の大阪万博まで待つという選択肢はありませんでした。
さっそく、和気商店の社長であり父である信行に「モントリオール万博へ行きたい」と直訴します。
しかし、当時の建築金物はまだ品質に課題があり、信行は日曜大工商品の拡大には不安視していました。
加えて、当時は飛行機の便が少なく渡航費も高額で、事故のリスクも高かったこともあり、カナダ渡航は反対されてしまうのでした。
「病気休暇」での決行、未来への投資
会社からの公式な出張としては認められませんでしたが、それでも博史の決意が揺らぐことはありませんでした。渡航費は私費でまかなう必要があり、あまりの巨費に銀行からの融資も受けられませんでしたが、妻・澄子の家族から100万円を借りることでなんとか資金を確保しました。
さらに、会社の出張ではないため、渡航中は「病気休暇」という体裁で1ヵ月休むことになります。当然、その月の給与は6割に減額されましたが、「海外渡航は一生に一度かもしれない」「今行かなければ、誰も行くことができないかもしれない」と、博史は渡航を決行しました。
同じように諸外国の文化や技術を学ぼうとしていた大阪スーパー振興会のメンバーとともに、大阪市商業班「北米カナダ産業視察団」の一員として、3週間の視察旅へと出発したのです。


右手には博史の趣味であるカメラも。
次回、トランクいっぱいにカメラのフィルムを詰めて旅立った博史が、モントリオール万博で目撃した光景についてお伝えします。
こぼれ話
今回の連載にあたり、和気博史さんの妻である澄子さんにインタビューを行いました。インタビューでは、今回のような社史には残っていない当時の貴重なエピソードや記憶が、次々と鮮やかに語られました。
渡航費として貸した100万円についてお聞きすると、「当時、小さめの家なら1軒買えた額でしたね」との言葉が返ってきました。当時の物価を調べるとサラリーマンの平均月給が約36,000円(年次統計より)。そこから換算しても、いかにこの金額が破格であり、博史さんが文字通り「人生を賭けた大勝負」に出ていたかが分かります。
なお、この100万円について、澄子さんによると「手元には返ってきていない」とのこと。「けれど、そのあとの事業拡大を思えば、もう十分すぎるほど返ってきたようなものです」と笑顔で振り返ってくださいました。

博史さんはカナダへの渡航に向けて人生をかけた大勝負に出ましたが、その大勝負に挑む夫のために、家が1軒買えてしまうほどの大金を用意した澄子さんとご家族もまた、並大抵ではない「大きすぎる賭け」に出られたのだと感じます。
インタビューの中で、澄子さんは「結婚した時から、この人は大丈夫と思ってた」と語ってくださいました。夢を追いかけ、大きな成功を成し遂げるには、自分の可能性を心の底から信じ抜いて支えてくれる人の存在が大きいのだなと、お話を伺いながら胸を打たれました。
※この記事の内容は、弊社社史「和気産業65年の歩み」、「和気産業80年の歩み」ならびに2025年9月時の取材を元に作成しています。



