1952(昭和27)年、家庭金物卸売業として新たな一歩を踏み出した株式会社和気商店。
この会社に劇的な変革をもたらし、今日の成長へと導いた立役者が、創業者の次男であり、後に二代目社長となる和気博史でした。
前回は、博史氏の仕事に対する情熱や、周囲への深い思いやり、そして何事にも全力投球する人柄について触れました。
今回は、そんな彼が家業に入って真っ先に直面した「和気商店の課題」と、それを乗り越えようとした初期の奮闘についてご紹介します。
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「堅い店」という評価の裏側に隠された危機感
博史氏を知る人々は、彼のことを「冷静に物を見る人」であったと振り返ります。
戦後、疎開先から大阪へ戻った和気商店でしたが、他の卸売商に比べて復興が2年ほど遅れていました。すでに多くの金物店は他の代理店との繋がりを強めており、和気商店はその隙間に割り込む形で商売を再開せざるを得ませんでした。
取り扱う商品は、メインとなる鍋や釜ではなく、錠前やカーテンロッド、包丁といった、単価が安く利益率も低い、いわゆる「回転の悪い」ものばかりでした。
それから数年、業績は着実に回復しつつありましたが、入社間もない博史氏は周囲から「和気さんは堅い店」という言葉を頻繁に耳にします。当初は「経営がしっかりしている」という褒め言葉だと受け取っていましたが、やがてその言葉に「伸びがない」「魅力が乏しい」という、停滞を指摘するニュアンスが含まれていることに気づきます。

父が自分を呼び戻した真意は、単なる跡継ぎとしてではなく、「和気商店を従来のしがらみがつきまとった商売から脱皮するのに、自分の柔軟な頭脳とアイディアで変化の時代を乗り越えること」にある。そう確信した博史氏は、これこそが自らの使命であると強く認識したのです。
変革①:スーパーマーケットという新天地への進出
博史氏は時代の大きなうねりを敏感に察知していました。
当時、都市部ではスーパーマーケットが台頭し、流通業界に革命が起きようとしていました。当時のスーパーにはまだ「金物売り場」など存在しませんでしたが、博史氏は独自の視点で可能性を見出します。
「うちは雑物屋なんだ。納める商品さえ変えれば金物小売店とスーパーとの両方の取引も可能で、扱う商品を考えれば金物屋よりもスーパーという太いパイプを握るべきだ」
(「まいどおおきに 和気産業65年の歩み」57ページより抜粋)
1960(昭和35)年、彼は「スーパー大幸」との取引を開始します。
通常の売り場にスペースがないならと、行楽シーズン直前に水筒と弁当箱をレジの外側に置かせてもらうと、これが飛ぶように売れました。この成功が実績となり、家庭金物はレジの内側に「市民権」を獲得。以後、和気商店は次々とスーパーマーケットの販路を開拓していったのです。




変革②:リヤカーで「空気を運んでいる」という気づき
販路を広げ、ようやくメイン商品である鍋や釜も扱えるようになっていた当時の和気商店。しかし、博史氏の鋭い観察眼は、その営業スタイルに残る「非効率」を見逃しませんでした。
リヤカーや三輪自動車(ミゼット)でかさばる鍋を運ぶ様子を見て、彼は違和感を抱きます。場所を取るわりには一度に運べる数が限られ、利益も決して多くない。その様子を彼は「空気を運んでいるようだ」と感じたのです。



「このままではいけない、何かを変えなければならない」。新しい売り場を見つけたからこそ、そこに届ける商品そのものや、運び方についても抜本的な改革が必要だと、彼は強く確信しました。
自らの使命を悟り、商品と販路の両面で変革を断行し始めた和気博史。
次回、改革の手を緩めない彼は、ついに和気産業の運命を決定づける「ある出会い」を果たすことになります。
こぼれ話
今では当たり前の存在であるスーパーマーケットですが、1960年代当時は「スーと出てパーと消える」と陰口をたたかれるほど、先行きが不透明な存在でもありました。そんな中、博史氏は自身の感性を磨くことを怠りませんでした。
1963(昭和38)年に結婚した博史氏は、新婚当時、よく百貨店に出かけました。
しかし、彼は妻と一緒にいる時であっても、気になる店があればすぐに飛び込み、商品を観察していたそうです。百貨店を「アイデアを生み出せる場所」と捉え、そこで得たヒントをスーパー向けの商売に即座に反映させていました。
また同年2月には、「まだ新しい分野であるスーパーという暗がりのなかで組織的に手をつなごう」と、異業種の11社で「大阪スーパー振興会(後の日本スーパー振興会)」を結成。社史によれば、「終始会議をリードした博史氏は推されて初代の会長に就任した。」とのことです。

今日のスーパーマーケットの隆盛は、こうした先駆者たちの情熱によって築かれたものだったのかもしれません。
※この記事の内容は、弊社社史「和気産業65年の歩み」、「和気産業80年の歩み」ならびに2025年9月時の取材を元に作成しています。



