こんにちは。和気産業メディアプロモーション室の にピ です。
2025年に日本で起きた大きな出来事のひとつとして、大阪・関西万博の開催が挙げられます。 日本での開催は20年ぶり、大阪での開催は55年ぶりとなった今回の万国博覧会は、累計来場者数(関係者含む)が約2,901万7,900人を記録するなどの大盛況で幕を閉じました。
さて、万博といえば、和気産業の社史を振り返るにあたって切り離すことのできない、大切な万国博覧会があります。前回の大阪万博のさらに3年前、1967(昭和42)年にカナダで開催されたモントリオール万博です。
1922(大正11)年に、家庭金物の卸商として創業した和気産業(創業時の名称は「和気信行商店」)は、1967年に当時の専務であった和気博史氏がモントリオール万博のイギリス館で「DIYをする親子」の展示を見たのをきっかけに、本格的に日曜大工(DIY)用品の取扱を開始し、以来、DIY業界のパイオニア企業として長く牽引を続けてまいりました。
その大きな転換期から間もなく60年を迎える今、この歴史的な決断の背景を改めて深く掘り下げたいと私は考えました。
当時、和気専務に強烈なインパクトを与えたイギリス館の展示は、「Do it yourself」(何でも自分たちでやろう)というスローガンのもと、「家族が協力して住まいをより良くしていく様子」を象徴的に表現した立体的なディスプレイだったといいます。
この展示こそが、それまで家庭金物と建築金物を二本柱としていた当社の経営を「日曜大工一本で行こう」と決断させる、まさに運命的な転機となりました。

モントリオール万博のイギリス館がDIYブームのきっかけだと書かれています。
私は今回、当時の様子を知る方へのインタビューなどを通じ、和気専務がなぜDIYへと舵を切ったのか、そしてDIYが日本に広まり始めた頃に和気専務や当時の人々が感じたDIYの魅力とは何だったのか、を追及する記事の連載を始めます。
戦後の高度経済成長期に、レジャーや余暇の時代が到来する中で、単なる趣味を超え、「住まいのメンテナンスや、より快適な空間を求める」というアメリカ的なDIYの理念が、当時の人々にどのように響いたのか。その魅力の核心に迫っていこうと考えています。
「日曜大工」という言葉からスタートした日本のDIY文化は、和気産業の歩みと深く結びついています。
1967年のモントリオール万博での大転換期に至るまでの道のりには、社史にも記されていない創業期の苦悩と挑戦がありました。
来月はまず、大正11年の創業から、激動の戦前、そして戦後すぐの和気産業がどのようにして「家庭金物問屋」としての地盤を固めていったのか。和気産業の「原点」に迫ります。
この連載は、和気産業の創業記念日(7月17日)にちなんで、毎月17日頃に更新を予定しています。お楽しみに!
