2026年の7月で創業104周年を迎える和気産業。
創業時は家庭金物の卸売商でした。

大正11年、大阪・上福島での産声

和気産業の前身である「和気信行商店」が産声を上げたのは、1922(大正11)年のこと。
大阪市福島区上福島の地で、ほうろう鉄器や銅、真鍮、アルミ製品などを扱う家庭金物卸問屋としてスタートしました。

当時の日本経済は、第一次世界大戦(1914〜1918)の特需を経て急拡大を遂げていた時期。大阪は日本最大の産業都市として活気に満ちあふれ、近代的な街づくりが進んでいました。百貨店が大衆向けに安価で便利な商品を販売し始めるなど、消費文化が花開く中で、和気信行商店の経営も順調に滑り出しました。

和気信行商店の外観
1931年、西区北堀江1番丁に移転した店舗

戦火に翻弄された苦難の時代

しかし、時代の波は過酷でした。1937(昭和12)年の日中戦争以降、経済統制が強まると、金属関係の商売は厳しく制限されるようになります。軍需産業の優先により、一般家庭向けの金属製品は製造禁止や使用制限の対象となったのです。

創業者・和気信行は、1943(昭和18)年に個人企業の合同体である「日本軽金属器物統制株式会社」に出資・勤務することとなります。さらに戦局が悪化した翌年3月には、ついに疎開を決意。故郷である広島県生口島(瀬戸田)へと引き揚げ、そこで終戦を迎えました。

2年の出遅れ、執念の再建

信行が再び大阪の地を踏んだのは、終戦から2年が経過した1947(昭和22)年11月のことでした。
空襲を逃れた他の卸商たちが、終戦直後からバラック小屋で商売を再開していたのに対し、和気信行商店の再興は2年ほど出遅れてしまったのです。

この遅れの影響は大きく、有力メーカーとの代理店契約は難しくなり、業界内ではすでに強固な連絡機関も形成されていましたが、信行は決して諦めませんでした。「一日も早く和気信行商店を再建する」という強い決意のもと、朝早くから夜遅くまでがむしゃらに働き続けました。その甲斐あって、1948(昭和23)年には東成区に店舗を構え、戦後復興における住宅・家庭用金物の需要を捉えて、事業を軌道に乗せることに成功したのです。

そして1951(昭和26)年、「大阪府家庭金物卸商組合」が誕生し、和気信行商店も加入しました。さらに、翌年10月には組合の理事の一人に選出され、業界における正式な社会復帰となりました。

株式会社和気商店の誕生と、次代への新風

1952(昭和27)年12月1日、創業30周年を機に、個人商店から法人組織「株式会社和気商店」へと生まれ変わりました。
折しも、日本経済が「もはや戦後ではない」と謳われた高度経済成長の入り口。業界全体が上り調子となる一方で、スーパーマーケットの台頭など、流通の仕組みが劇的に変化し始めた時期でもありました。

業績は堅調でしたが、周囲からは「堅い店」「伸びない店」「魅力に乏しい店」と評されることもあった当時の和気商店。そんな状況を打破し、会社をさらなる成長へと導くために、1956(昭和31)年9月に入社したのが、信行の次男であり、のちに2代目社長となる和気博史でした。

次回は、信行の後継者として入社した博史の人柄を深掘りします。
次男でありながら家業を継ぐことになった彼が、どのような志を持って和気商店に新風を吹き込んだのか。来月もどうぞお楽しみに!

こぼれ話

株式会社和気商店の設立と同時に、信行は社員の親睦を図るため「友の会」を発足させました。
この会は、70年以上経った今でも「社員友の会」として、和気産業の全拠点で受け継がれています。

クリスマスケーキ
大阪の友の会が2025年のクリスマスに配布したケーキ

毎年クリスマスに美味しいケーキをいただけるのも、創業者の社員を想う心から。信行さん、ありがとうございます!

※この記事の内容は、弊社社史「和気産業65年の歩み」、「和気産業80年の歩み」ならびに2025年9月時の取材を元に作成しています。