DIY業界の歴史

DIYの発祥は1945年のロンドン

第二次世界大戦後の1945年(昭和20年)、イギリスの首都ロンドンで、破壊された街を自分たちの手で復興させる国民運動が始まりました。その時のスローガンとして生まれたのが、「Do it yourself (何でも自分たちでやろう)」という言葉です。

DIYはその後ヨーロッパ全土から北米へと広がります。1960年代後半、アメリカには大型DIY専門店、いわゆるホームセンターが出現しました。1970年代に入ると、アメリカのDIY産業はヨーロッパへ逆輸入され、ホームセンタービジネスはさらに世界へと広がっていったのです。

日本におけるDIYの歴史

日本にDIY産業が生まれるまでの道のり

ロンドンでDIYが生まれた10年後、日本はようやく高度経済成長期を迎えます。住宅着工戸数は、1955年(昭和30年)約26万戸だったのが、1972年(昭和47年)度には7倍以上、戦後最高の約186万戸を記録します。

そんな中、DIYより先に日本で生まれた言葉は「日曜大工」でした。
※日曜大工:日曜などの休日に趣味でする簡単な大工仕事

1962年(昭和37年)
大阪スーパー振興会発足。和気産業と異業種10社で結成。

1965年(昭和40年)
大阪金物連合見本市開催。はじめてキャッチフレーズを用いて、日曜大工用品を展示した。

1967年(昭和42年)
カナダで開かれたモントリオール万国博覧会のイギリス館にあった「日曜大工コーナー」が人気を博した。

和気産業の専務、和気博史が「日曜大工コーナー」に強い興味と可能性を感じたことが、日本にDIYを広めていくきっかけとなりました。

日本のDIY産業のスタート

1969年(昭和44年)
大阪に辻本日曜大工センターが開店。
東京都八王子市に村内ホームセンターが開店。

①ホームセンター開業

1969年(昭和44年)
ホームセンターの先駆けといわれる「ハウジングランド順天堂駅前店(※)」が、島根県益田市にオープン。
※現ジュンテンドー益田店

1972年(昭和47年)
日本初の本格的ホームセンター「ドイト与野店(※)」が、埼玉県与野市にオープン。
500坪近い建床面積の店舗と100台以上収容する駐車場を備えており、現在のホームセンターと同様の形態でした。
※現コーナンドイト与野店

日本初のホームセンターには諸説あり、「ハウジングランド順天堂駅前店」と「ドイト与野店」が有力といわれています。いずれにせよ、ホームセンターの誕生と共に、日本のDIY産業がスタートしたといってもよいでしょう。

1974年(昭和49年)
日本ホームインプルーブメント振興会発足
和気博史社長が振興会会長に就任

1975年(昭和50年)
中小企業庁監修の「DIY店マニュアル」発行

②現一般社団法人日本DIY・ホームセンター協会のスタート

1977年(昭和52年)
任意団体日本DIY協会設立(現:日本DIY・ホームセンター協会)
初代会長:斉藤幸吉氏(ヒノデ株式会社・当時は日之出自動車専務)
初代副会長:和気博史(和気産業社長)

1978年(昭和53年)
日本DIY大学開講
消費者にDIYを教える技能者の養成教育として、1987年(昭和62年)まで続いた。

日本DO IT YOURSELFショウ開催
期間:11月2日~4日
会場:晴海国際見本一会場(東京)
現在の「JAPAN DIY HOMECENTER SHOW」の先駆けとなる初めてのイベント
出展社数203社 来場者数約5万2000人

1979年(昭和54年)
通産省生活産業局長の諮問機関として、DIY産業振興対策委員会が発足。

1980年(昭和55年)
社団法人日本ドゥ・イット・ユアセルフ協会設立(現:日本DIY・ホームセンター協会)
任意団体日本DIY協会から2年10カ月で、社団法人へ。日本のDIY産業の中心的な組織として、新たな一歩を踏み出した。
※日本ドゥ・イット・ユアセルフ協会は以降、日本DIY協会と記載

日本のDIY産業の成長期

日本初のホームセンターが誕生してから約10年。1973年の店舗数はわずか28店舗でしたが、1982年には1050店舗となりました。その後2000年頃まで、年間100~200店舗のペースで増え続けていきます。

ホームセンターの店舗数と売上高の推移グラフ

※出展元:日本DIY・ホームセンター協会

https://www.diy.or.jp/i-information/association/jigyo/transition.html

1982年(昭和57年)
‘82DIY/HI TODAY世界大会開催
期間:11月4日~7日
会場:ホテルオークラ(東京都港区)
欧米のDIY先進国から学び成長してきた日本のDIY産業の軌跡を世界に披露することを趣旨として開催。
第1部:海外10カ国代表者60名、日本390名が参加
第2部:出展者、出店小問数、来場者、すべてが過去最高を記録

1983年(昭和58年)
DIYアドバイザー資格制度がスタート。
第1回試験(学科・実技/面接)には、全国から1392名が受験、334名の第1期DIYアドバイザーが誕生した。

1984年(昭和59年)
毎月第一日曜日がDIYの日に制定された

1985年(昭和60年)
日本DIYアドバイザー会設立
DIYアドバイザー資格制度を確立させるだけでなく、DIYアドバイザーの社会的地位向上などを目指し、設立。日本DIY協会もこれをバックアップ。

1987年(昭和62年)
日本DIYショウ in OSAKA開催
期間:3月6日~8日
会場:インテックス大阪
関西の業界からの強い要望のもと、任意団体日本DIY協会設立10周年記念事業として開催
出展社数192社 出展小問数560小間 来場者約41,000人

1988年(昭和63年)
DIYの定義改定
DIYが暮らしに浸透するにつれて、消費者のDIYに対する捉え方が変化してきたため。
「修理、補修、改善等を行う」から、「快適な生活空間を創造する」に改訂

1991年(平成3年)
JAPAN DIY・HC SHOW開催
期間:9月13日~15日
来場者数:約15万人
日本DIY協会とは別に、日本ホームセンター協会も「日本ホームセンターショウ」を開催していたことから、同業界として共に盛り上げようと合同開催が始まった。

1992年(平成4年)
日本DIY協会に日本ホームセンター協会がが併合される

1994年(平成6年)
ホームセンター3000店、市場規模2兆9200億円に達する

1996年(平成8年)
JAPAN DIY SHOW’96開催
期間:3月7日~10日
会場:インテックス大阪
これまで春に大阪、秋に東京で開催してきたショウを統合し、3日間にわたり開催。海外からの出展企業が大幅に増加した。
来場者数:約14万人

日本のDIY産業の変革期

2000年3月、日本のDIY産業はアメリカ、ドイツに次いで第3位の地位を占めるまでに成長しました。
総務省の情報通信白書(※)によると、2000年のインターネット利用者数は4,708万人と推計されるなど、インターネットの普及率が大幅に増加。これにより、ネット検索が一般化し、一般消費者のDIY熱はさらなる高まりをみせます。

※出展元:平成13年版 情報通信白書

https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h13/html/D1111000.htm

2000年(平成12年)
DIY産業の市場規模が3兆6500億円に達する

2002年(平成14年)
第47回2002年IHA京都会議開催
期間:4月4日~9日
会場:国立京都国際会館
日本DIY協会の主催により、世界のDIY・ハードウェア業界団体の代表が一堂に会した。
出席者数:1312名

2004年(平成16年)
DIYショウを「JAPAN DIY HOMECENTER SHOW」に改称
1978年の日本DO IT YOURSELFショウ開催に始まり、日本ホームセンター協会との合同開催、大阪・東京の2拠点による開催など、時代に合わせて形を変えながら続いてきたDIYショウ。ホームセンターという名称の普及率の高さや、アジア諸国でのDIYという言葉の認知度が低さから、改称が決まった。

2007年(平成19年)
「住まい自分流 DIY大賞」制定
2005年からスタートしたNHK教育テレビ(現Eテレ)の「住まい自分流~DIY入門」との共同企画。全国から987点の応募があり、受賞作品はJAPAN DIY HOMECENTER SHOW2007の会場でも展示された。

2013年(平成25年)
一般社団法人日本ドゥ・イット・ユアセルフ協会に組織変更
2008年の「公益法人制度改革関連3法」に基づき、社団法人から一般社団法人への移行を決定。

2016年(平成28年)
「DIY AWARD」を制定
JAPAN DIY HOMECENTER SHOW2016より、DIYの発展に貢献した著名人を表彰する「DIY AWARD」を制定。第1回目の受賞者はタレントのヒロミさん。

2018年(平成30年)
「JAPAN DIY大賞」を制定
JAPAN DIY HOMECENTER SHOW2018より、一般からDIY作品を募集し会場いて展示紹介し表彰する「JAPAN DIY大賞」を制定。第1回目は茅ヶ崎市の矢野賢太さんの「パズルBOX」が大賞を受賞。

2020年(令和2年)
一般社団法人日本DIY・ホームセンター協会に改称
DIYが暮らしに浸透するなか、消費者にとってホームセンターはより身近な存在となっているため。DIY新時代に向けての活動の第一歩とも捉えられている。